健康診断

会社の健康診断で、便潜血が出ました。
早速、かかりつけの医者に報告し、大腸検査を受けることになりました。
食事制限や下剤で腸内を空っぽにし、いざ検査に向かいました。
肛門からシュノーケルのような大腸内視鏡カメラが入っていきます。
大腸の角を曲がるたびに痛みを感じましたが、何とか一通り検査を終え、結果を聞きに医者のもとへ。
すると
「きれいな腸をしているね~」
腸の中がきれいであるという話なのかと思いましたが、医者は腸全体の形状がきれいだということでした。
「いままでに便秘になんかなったことはないでしょう」
私は家系の遺伝により、便通が良すぎる傾向がありました。
「はい、便秘どころか、便通が良すぎるぐらいです。」
「そうでしょう」
「家にいて、トイレに間に合わなかったことが、何回もあります」
この言葉には、医者からの反応はありませんでしたが、便潜血の原因は、S状結腸に少し膨らんでいる部分があり、そこから少し出血があり、それが検査結果に表れているということでした。
腸内の画像を見ましたが、腸内はとてもきれいで、自分で言うのもなんですが、外も中もとてもきれいな腸美人であると思いました。

翌年の健康診断では、便潜血は出ませんでした。
翌々年の健康診断も同じく、出ませんでした。
しかし、その翌年の健康診断では、再び便潜血が出ました。
医者に報告すると、
「これは大丈夫です。心配はありません」
また腸の膨らみからの出血とのことでした。
なので、そのままにしていたのですが、その後も、何回か便に血が混じっているのが目に入りました。

医者に伝えると、
「大丈夫です。それは心配いりません」
「. . . 」
さらにしばらくして、
「血液だけの排泄があったのですが」
と、医者に伝えると、
「それは大丈夫です。心配いりません」
と、食い気味に言ってきます。
さらに夜中に突然目が覚めて、肛門内に何かとろ~としたものが流れ、急いでトイレに行くと、血が肛門から垂れてきました。
医者に伝えると、
「大丈夫です。それは心配いりません」
と、いつもの調子。

便も細くなり、チンジャオロース(すみません)のような感じになっていましたが、医者に言っても、いつもの調子なので、言いませんでした。
そんなある日、突然、頻便になり、一日に10回以上トイレに行くようになりました。トイレに行っても出ないのではなく、毎回、そこそこな便量なのです。
私は食べすぎが原因だと思い、食事制限しましたが、一向に回数が減りません。
ネットで“1日に排便10回以上”と調べると、“過敏性腸症候群”と出てきました。
医者に
「1日に10回以上排便がありまして、ネットでは過敏性腸症候群と出ていましたが、そうなんですかね?」
「あなたの性格から言って、その判断で正しいと思いますよ」
私は成人病も患っており、その医者にはいままで20年以上も診てもらっていましたので、私の心配性な性格も知っていたのです。
そこで医者はポリフルという便を固める薬を処方してくださいました。

医者のお話では、このポリフルは便を固めるだけで、腸のぜんどう運動を止めないそうで、便を固めることによって、排便回数が減り、いつの間にか気にならなくなり、過敏性腸症候群の症状が治まる、ということでした。
早速、私は飲み始めたのですが、やたらと便が出てしまう感じは減少し、それに伴って排便回数は減りました。
しかし、大きく回数が減ったわけではなかったので、通勤時は大変でした。
電車やバスに乗る前は、トイレに行っておくなど注意しながらの生活で大変でした。

それから半年が経ち、医者からある事実を伝えられました。
「ポリフルが製造中止になった」
「他に似たような薬はないのですか?」
「ない」
とのことでした。
ただ、私にとってポリフルは、大きく効果があったわけではないので、そんなにショックは受けていませんでした。
しかし、これが大変なことになります。
ポリフルがなくなることにより、下痢が止まらなくなりました。
家内が言うには、
「薬に頼っていると、自分の体の治癒力が衰えてくる」
そういえば、最初はこんな下痢ではなかった。
今は何か月も下痢が続いている。
おかしい。
自分と家内の家族や親戚も全員、
「それはおかしい」
と口を揃えて同じことを言いました。
「かかりつけの医者に言って、別の病院を紹介してもらえ」
「セカンドオピニオンだ」
医者に伝えると、
「ああいいよ。どこの病院にする?」
と軽いノリ。
近くの大病院を紹介してもらい、いざ病院へ。
下剤
予約日、病院へ行くと、まずは検査させてください、ということで、約2週間後、大腸検査へ。
数年前と同じように、検査当日の朝、下剤を飲み始めましたが、今までに経験したことのない激痛がお腹に走りました。

便が全然出ず、8時間、家のトイレで苦しみました。冷や汗、あぶら汗まみれの中で、気を失いかけるほどでした。
検査の時間になっても私が現れないので、病院から連絡があり、トイレで受け答えしました。
「救急車を呼びましょうか?」
「もう少し待ってください」
息も絶え絶えに答えましたが、8時間近く経った頃、やっとのことである程度の便が出ました。
便が少しでも出たら、痛みが治まったので、今のうちに病院へということで、家族の運転する車で病院へ。
到着するやいなや、大量の便が紙パンツの中へ。
トイレへ駆け込み、便を処理して、何とか検査室へたどり着けました。
ただ便がまだ腸内に残っているということで、病院で下剤を飲んで、排便を続けるということに。
それでも便は完全には出ない。病院の診療修了時間が近づいているので、浣腸排便後、肛門入口付近だけでも検査ということに。
しかし、カメラが腸に入るやいなや、またこのタイミングで、大量の便がドバドバと。
検査室のベッドの上は大量の便がひろがっていました。
意識がもうろうとしていて、恥も外聞もありませんでした。
これでは検査ができないということで、また日を改めて、検査入院ということになりました。
帰宅して、玄関のところでも大量の便を紙パンツの中に。
翌日のお昼まで、大量便が出続けました。

この激痛の原因は、下痢止めを飲みながら、仕事に行っていたので、腸の中に大量の便が溜まっていたからだと思います。
その詰まった便を一気に出そうとするので、激痛が起こったと。
今回で、溜まっていた便を全部出したので、次は大丈夫ということで、検査入院に臨みました。
しかし、結果は同じでした。
下剤を飲むと、また激痛が。全然、便が出ない。
病院のトイレに長くこもっていたところ、看護師さんがやってきて、
「大丈夫ですか?」
「なぜ今回もこんなことになるのか分からない」
と言うと、看護師さんは、それには返答せず、
「もうトイレに入って2時間になるので、少しベッドに戻りましょう」
と。
そう促され、ベッドに戻りましたが、すぐに便意をもよおし、再びトイレに戻ると、急に排便が始まりました。
一旦、排便が始まると、次から次へと排便が続き、1時間もかからないうちに、検査可能状態にまでなりました。
その後、検査は無事終わりましたが、なんでこんなことになったのか?
この時の私にはまだ知る由はなかったのです。
病気発覚
後日、検査結果を聞きに病院へ。
「いかがでしたでしょうか?」
「癌です」
「. . .」
今までに現れた症状や流れから、とっくの昔に癌であることは分かるのですが、どこか現実から目を背けようとしていた自分がいたのでしょうね。
直腸癌でした。しかも進行癌でした。
医者にその事実をハッキリ告げられると、ショックと観念したような気持ちが同時に起こりました。
「ステージはどのくらいですか?」
「それは切り取った病巣部分を病理検査して最終的に分かるものですが、この画像を見る限りでは、ステージⅢですね」
「ステージⅢ?」
結構進行している。

ステージⅢは、5年生存率70%ということでした。
「そうか。30%の確率で5年以内に自分は死ぬのか」
もしこれがステージⅣだったら、5年生存率17%になります。
まだ良かったほうか。
早速、転移がないかどうかの確認のため、MRIや造影CT検査を受けました。
結果を知らされる日まで、気が気でなかったです。
結果は転移なしでした。
しかし、良かったと胸をなでおろす暇はありませんでした。
「先生、直腸癌は、手術後、排便障害があるとききましたが、便がだらだらと勝手に漏れる感じですか?」
「あ、いや、人工肛門になるかもしれません」
人工肛門!?
「それはどのようなものなのでしょうか?」
「詳しくは外科で聞いてください。すぐに予約を取りますので」
人工肛門をネットで調べると、袋をお腹の上に固定し、その中に便をためるというものでした。
自分の肛門を人口の肛門に置き換えるだけというイメージを持っていた私は、非常に衝撃が大きかったです。
癌と初めて知ったときは、癌で近いうちに死ぬかも、というあきらめの気持ちが、見えない老後に対する不安から解放されるなど、心が穏やかにさせた部分も正直ありました。
しかし、人工肛門は、これからずっと装着して生きていくわけですから、解放の逆で背負うことになります。

外科の待ち時間が地獄でした。
かなり衝撃を受けていた私は、思わず “安楽死” というワードをスマホ検索していました。
「早まるな!まずはここに連絡を!」
と、思いとどませる文字が画面に大きく表示されました。
精神的にしんどくて、待ち時間が何時間にも感じられました。
やっとのことで名前を呼ばれ、診察室にそそくさと入っていきました。
癌の状態について詳しく説明を受けた後、せきを切ったように聞きました。
「人工肛門は取り付けることになるのでしょうか?」
「あ、永久的にではありません。一時的にはあるかもしれませんが、大体3か月から半年ぐらいですね」
永久でなくてよかったです。一気に気が楽になりました。
その期間だけ乗り越えればいいのだと。
続けて聞きました。
「人工肛門になるかどうかは、いつわかるのですか?」
「申し訳ありませんが、お腹の中を見るまでは分かりません。
どのように手術をするのかで、人工肛門が必要になるかどうかが分かるので」
準備は、すぐに進められ、3日後に入院、その3日後に手術と決定しました。
手術
手術3日前に入院し、主治医からのお話を聞きます。
直腸とS状結腸を切り取るとのこと。
示された図に主治医が付けた印では、切り取る腸がとても長いものでした。
ゾッとしました。
そんなになくなって大丈夫なのか?人工肛門はどうなるのか?
さらに年齢から言って、手術後、抗ガン治療もしたほうがよいとの話。
あの毛が抜けるやつか . . . 。気が重くて仕方ありません。
そうこう言っている間に、手術の前準備を始めなければなりません。
そうです。また腸内の便を出さないといけません。
また下剤による激しい痛みが. . . 。
いや、癌だと知って調べていたのですが、便が細くなっていたということは、狭窄(きょうさく)になっていたということです。
狭窄とは、大腸の壁が厚くなり、腸の通り道が細くなってしまうことで、この状態で通常、検査前に飲む刺激性の下剤 “ラキソベロン” を飲むとどうなるか、ネットで検索すると
「極めて危険なので、絶対にやめてください」
と。さらに
「腸閉塞や腸管穿孔(腸に穴があく)を引き起こす危険性があります」

そんなことを私は2回もしていたのか。
便秘薬で溜めた便を細くなった腸の通り道に無理やり押し通そうとしていたのか。
さらに刺激性の下剤 “ラキソベロン” の用法用量を見てみると、通常の使い方として、成人は10~15滴とあります。
大腸検査には、1本丸ごとになります。
そりゃあ8時間もトイレで苦しみ、冷や汗とあぶら汗まみれになって、何度も気を失いかけるはずです。
あの苦しみと痛みの理由は、狭窄だったのです。
今回は、病院も状況が分かっているので、非刺激性の下剤 “酸化マグネシウム錠” を使用。
3日かけて、ゆっくり排便しました。
とても楽でした。最初っからこうすべきだったのです。危ないところでした。
さて、手術当日の朝を迎えました。
朝8時半に手術室へ向かうため、8時20分に看護師さんが迎えに来られました。
点滴スタンドを手で押しながら、いつもと違うエレベーターで階下へ。
降りたところは、何もない広い部屋。
端には長椅子が置かれており、そこに座って主治医を待つことに。
沈黙の時間が流れました。
付き添ってきた看護師さんに、
「緊張しますよね」
「はい、こんな経験したことないもので」
「ほとんどの人が経験したことないですよ」
ぎこちない会話が緊張を煽った。
しばらくして、主治医がやってこられ、いざ手術室へ。
部屋から出ると、天井の高い廊下に手術室の扉がズラっと並んでいました。
それら扉はSF映画に出てくるような巨大宇宙貨物船の倉庫の扉のようでした。

私が向かった手術室の扉には大きく4とありました。
「不吉な」
その縦にも横にも大きな扉は自動でゆっくり左へ開き、私はそれに誘われるかのように手術室に入っていきました。
だだっ広い手術室の中はガランとしており、真ん中にポツンと手術台がありました。
その手術台の上には、手術支援ロボット “ヒノトリ” のアームが何本も斜め下に向けて構えており、改造人間をここで製造しているかのような光景でした。

私は促される通り、えらく幅の細い手術台の上に横たわり、手短な説明を受けました。
マスクが口の上に置かれ、
「もうすぐ、麻酔が効いてきます」
その言葉を聞いた直後、意識がなくなった。
次に目が覚めた時は、手術が終わって手術台から入院用ベッドに、みんなで私の体を横に押して移す瞬間でした。
私の目が覚めていることに気づいた主治医は、大きな声で
「人工肛門つけなくてもよかったですよ!」
「... ありがとうございます ...」
麻酔から覚めた直後なので、意識もうろうとしており、声になりませんでした。
再び意識がなくなり、次に意識が戻ったのが、病室に到着した時でした。
手術の時間は約6時間で、朝8時半から、もう夕方5時になっていました。
下腹部が痛い。
看護師さんの
「痛み止めしますね」
という声とともに、初めて自分の体を見ました。
私の体から5本のチューブが伸びていました。
両手の甲から点滴の管2本。
腹からは腹水ドレーンの管が1本。
尿道カテーテル1本。
肛門ドレーン1本。
それぞれが袋やケースにつながっています。
まさに改造人間といった様子です。
「痛みが強くなったら、このケースにあるボタンを押してください。痛み止めが多めに投与されますので」
と言われていたので、初日は痛みが強く、ボタンを何回か押しました。

押すたびに、非常によく効き、ほぼ痛みがなくなります。
こんな感じだったら、術後の痛みも思いのほか軽く乗り越えられそうだと思いました。
術後の障害
手術の翌朝、看護師さんが仕切りのカーテンを開けて、
「では、歩きましょうか」
今の時代は、手術の翌朝から歩くと事前に聞いていましたので、特に驚きはなかったのですが、痛み止めのおかげで、歩くことができました。
看護師さんに
「すごい!」

と、驚きの声をいただきました。
フラフラで立ち止まったら、自分では気づかず、体が自然に斜めに倒れていき、その度に看護師さんに体を支えられましたが、手術翌日でこの状態で歩けるのは自分でもすごいと思いました。
手術支援ロボットのお陰で、体の負担が軽いことも手伝っているのだろうなと思いました。
手術後2日目。
昨日と比べて痛みが強い。ジッとしていても痛みを感じます。
痛み止めのケースのボタンを押そうと、ケースに目をやると、痛み止めがもうなくなっていました。
痛み止めは手術後2~3日は持つと麻酔科医から聞いていたのですが、使いすぎていたようです。
看護師さんに伝えると、
「その痛み止めは麻薬が入っているので、追加するには医師の許可が必要です。聞いてみましょうか?」
麻薬と聞いて、映画「プライベートライアン」に出てきた、内臓が飛び出ている負傷兵に打つモルヒネを思い出し、あまり多用はしないほうがいいだろうと考え、通常の痛み止めをお願いしておきました。
その代わり痛みはジッとしていても少し感じられ、痰を切るために咳払いをすれば、激しい痛みが襲い、痛みが治まるまで、ベッドの柵にしがみつかなければいけませんでした。

麻薬の痛み止めの効果は絶大です。なので、歩くことも。
この日の朝も看護師さんが来られました。
「では、今日も歩きましょうか」
「今日は歩けそうにありません」
と答えると、腸閉塞予防で歩いてほしかった看護師さんは、少し困ったような表情をされました。
その様子を見て、
「明日は歩けます」
と、口から出まかせを言ってしまいました。
手術後3日目。
痛みは治まらず、出まかせ確定になりました。
この日は2回目のレントゲンがあるのですが、手術翌日の1回目は車いすで階下のレントゲン室まで行きましたので、この日も車いすと考えていましたが、カーテンの外側から看護師さんが
「今日のレントゲン、歩いていけますよね?」
「あ、いや、車いすでお願いできませんか?」
返事がありません。
「車いすを押さなくてはいけなくなったから、そっちにいけなくなった」
と、電話で誰かに伝えていました。
忙しい中で対応してくださっていたこともあり、その時の私は「また迷惑をかけてしまったかな」と感じました。
とはいえ、歩かなければ、腸閉塞になりますので、その日の午後は、頑張って歩きました。
看護師さんのほうを気にしながら。
そんなこんなで、手術後6日が経ち、腹水ドレーンと尿道カテーテル、肛門ドレーンが抜き取られ、点滴のみに。
身体が大きく楽になりました。
しかし、早速、排便障害の恐怖が襲ってきました。
病院のベッドの上で朝食を食べている途中、トイレに行きたくなり、ベッドから腰を上げると同時に、シャーと水様便が勝手に。
全く排泄する感覚がなかったのです。
これは恐怖でした。
外出が億劫になりますし、紙パンツがいくらあっても足りない。
しかし、体全体の回復は、ここからが早く、翌日には自分で普通にすたすたと歩いて、レントゲン室まで。
その翌日には、点滴も外されました。
自由の身にでもなったかのようでした。
元々自由の身ですが。
その3日後に晴れて退院。

家内が迎えに来て、病院の外へ。排便障害の恐怖に怯えながら、駐車場まで。
家までの帰路の途中、持ちそうだなと思いましたが、淡い期待でした。
車中で紙パンツへ。
これからが排便障害との闘いの始まりです。
4~5日ほど、ほとんど排便がなく、その後、大量の便が2時間ぐらいかけて排泄。
これが最初の1か月は繰り返し起こります。
回復までに半年から1年ほどかかるということです。
退院2週間後。
血液検査と病理検査の結果を聞きに病院へ。
かなり緊張しましたが、主治医からは、
「血液検査の結果は良好でした。
転移、再発があれば上がる項目の数値も良好です。
「病理検査のほうですが、リンパ節への進行はみとめられませんでした。
その他の結果も含めて、ステージはⅡaになります」
嬉しかったです。
しかもステージⅠに近いⅡa。
再発のリスクが低いので、抗ガン治療の必要もないとのことでした。
“安楽死” を検索した自分が、遠い昔のように感じます。
ステージⅠの5年生存率は、90%以上ですので、Ⅱaは85%ぐらいかと思いましたが、Ⅱaの欄には、Ⅲと同じ、70%でした。
やっぱり進行がんなので、そう簡単には安心させてくれないということか。
ただ、医者が言うには、死亡率30%というのは、かかった癌以外の死亡理由も全て含まれているとのこと。
かかった癌は再発していないが、別の病気や交通事故で亡くなった場合も含まれているということでした。
ということで、私は、複数の運勢鑑定の方に波乱万丈と言われていますが、それと同時に長生きです、ご長寿です、とも言われています。
なので、多分、5年生存率100%でしょう。
運勢鑑定で長生きと言われたことのない親戚のおじさんが96歳まで生きました。そのおじさんも大腸がん手術を受けています。
よって、私は50年生存率でも100%確定と言ってもいいでしょう。
というわけで、ただいま排便障害との闘いの真っ最中です。
今のところ回復している兆しはあるのですが、焼きそばを食べた日の翌日、下痢でした。
まだまだ気が抜けませんが、これから頑張って、癌を乗り越えていきます。
教訓
ここまでの経験で学んだこと。
- 便潜血が出たら、すぐに大腸検査を受けること。
- 問題がなくても、その後にまた便潜血が出たら、すぐに検査すること。
- 絶対に前の検査の時と同じだろうと勝手に判断しないこと。
- 排便時に出血があったら、まず大腸がんなので、必ずすぐに検査を受けること。
- 出血がある場合、医者が何と言おうと検査を受けること。
早期発見であればあるほど、腸を失う確率が下がります。 - もちろん、毎年、健康診断を受けることが大前提です。
- 出血があって、便が細くなっている場合、大腸検査の際の下剤には注意すること。
- 狭窄の可能性について、事前に医師と相談すること。
狭窄なのに刺激性の下剤を使用すると、最悪、腸が破れます。
以上のことを守れば、大事には至りません。

これを読むことにより、皆さまの人生がより良いものとなりますよう、心よりお祈り申し上げます。
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