張り紙
ニュージャージー、ハッケンサックという街にあるコンドミニアム(賃貸の分譲マンション)に引っ越し、1年が過ぎた頃です。
学校から帰ってくると、玄関の扉に張り紙がしてありました。

張り紙は銀行からでした。
読むと、いついつまでに立ち退けと書かれていました。立ち退き命令でした。
何のことか分からず、その銀行に問い合わせると、家主がその銀行から借金をしており、そのコンドミニアムを抵当に入れていたようです。それで家主が返済できなくなり、銀行がコンドミニアムを売りに出すとのことでした。
急な話で驚きましたが、家主はカリフォルニアに住んでおり、今までに何の連絡もありませんでした。
このコンドミニアムを紹介した不動産会社に連絡してみましたが、家主との賃貸契約がある以上、あなたはそこに住む権利がある、とのこと。
では、このまま家賃を払って住み続けてもいいのか?そんなわけない。
なので、他へ引っ越すことにしました。
で、不安に思ったのが、セキュリティデポジット(敷金)です。
引っ越しの時に返金してもらわないといけませんが、どう考えても家主が返金できる状況にあるとは思えません。なので、3か月分の家賃を払わないようにして、それを敷金分に充てるように考えました。

すると家主から突然電話がありました。
「今月、まだ小切手が届いていないけど . . .」
「このコンドミニアムが売りに出されることを知りました。引っ越しますので、それまでの家賃を敷金分とさせてください。」
「大丈夫、引っ越しの時にはちゃんと敷金は返すから。」
しかし、全く信用できません。
(これは後日談ですが、メーカーに勤めるようになってから、同僚のアメリカ人社員にこの話をしたことがあり「それは絶対信用してはいけない。家賃を払わなくて正解だ。」と、言っていました。)

そんな折、その銀行から電話がかかってきました。声から前に電話で話をした人とは違う人物のようです。
「お前はそこに住んでいるのか?」
「はい」
「家賃は払っているのか?」
「敷金分を返してもらわないといけないので、今は払っていません。」
「なんだと!払っていないのか!」
「いやだから、実質は払っていて . . .」
「わずらわしい!」
「. . . 」
「お前に警告する。今すぐ、そこを立ち退かないと、お前の家財道具は、すべて路上に並ぶことになるぞ。」
「そんなこと言われても、家主との契約もありますし . . .」
「その物件は、もはや家主のものではない!そんな契約は無効だ!」
と、言い放って、電話が切れました。

面倒なことになっている。このややこしい状況。すぐに出ていかないといけないのか?家主との賃貸契約は本当に無効なのか?
張り紙に弁護士の連絡先があり、知人に相談すると、その弁護士に連絡してみては、と。
なんかためらいましたが、思い切って弁護士に連絡すると、
「まだペーパーワークが残っていて、あと3か月ぐらいはかかるから、それまでそこにいても大丈夫ですよ。」
と軽い返事。なんか拍子抜けしました。敷金は3か月分だったので、これでちょうどいい。
当時、アメリカでは家賃を払わずに居座る人もいると聞いていました。あの銀行員は、私もそういった人間の一人だと捉えたのでしょう。
またあの銀行員から電話がかかってきたら、弁護士からそう聞いたと言えばいいだろう。
私は、そう考え、引っ越し先を探し始めました。
ダイアモンド
引っ越し先を探すため、不動産の人と色々な物件を見て回っていました。
どこの家もまだ人が住んでいる状態で、住人が外出中に見て回ることになります。
ただ、そんなことをすると。ここはアメリカなので、当然、そんなこと起こるでしょう、ということが起こります。
物件を見て回ったある日、不動産の人から連絡がありました。
「今日、見に行った家の住人から、部屋に置いていたダイアモンドがなくなった、と警察に連絡があったそうです。これからそちらに警察から連絡がありますが、すべての質問にNOと答えてください。」

警察からの電話、また緊張の電話に出なければいけません。
疑われるような発言をしたら、非常に面倒なことになる予感がしてなりませんが、今回はNOと言えばいいだけ。けどYes/Noで答える質問ばかりなのか?
色々考えているうちに警察から電話がかかってきました。
「今日、○○の家に行ったか?」
「その家で何か見たか?」
「何か触ったか?」
私は言われた通り、すべての質問にNoと答えました。
警察の電話口での話し方から、定型の質問をしていたようです。声の調子も機械的でした。
私には、警察はその住人の話をそのまま信じているというより、定型的な確認をしているように感じました。
その後、警察からの連絡はありませんでしたが、不動産の人は、「多分、そのダイヤモンドに保険をかけていて、保険金目当てでやっているんじゃないか」と言っていました。
それにしても、あの手この手で何かして金をくすめてやろうと企んでいる人が多いので、全く気が抜けません。
見知らぬ人
引っ越し先の物件を探している、ある日曜日の朝、いつものようにベッドで寝ていました。
深い眠りの中、何かの物音がして、ふと目が覚めました。
目を開けると、目の前に見知らぬ3人が立っていました。

年配の女性1人と30代ぐらいのカップルのようでした。
何事か!と思い、全身に力が入り、硬直しました。
しかし、その3人は、知らん顔で私のベッドの横を通り過ぎて、窓からの景色を眺めながら、話をしていました。
家じゅうを歩き回った後、そのまま出ていきましたが、銀行もコンドミニアムの買い手を探していたので、不動産屋が人を連れて来ていたのです。
それまで私は、人が住んでいる部屋を見に来る場合は、当然、事前に連絡があるものだと思っていましたが、銀行側からすれば、私はすでにそこに住む権利のない人間だと考えていたのでしょう。
なので、連絡もなしに、堂々と部屋に入ってきていたのです。
それにしても心臓が口から飛び出そうでした。さらにアメリカですし。
いつもは内カギをしているのですが、その時はたまたま内カギをかけるのを忘れていました。
今回、自分の住んでいるところを人に見られるという逆の立場になったわけですが、もし家の中から何か物がなくなったら、物件を見に来た人を疑ってしまう気持ちが分かってしまいました。
本当にダイアモンドがなくなったのかもしれない、という気持ちになりました。
引っ越しの日

引っ越しの日が来ました。
そのとき家主から電話がかかってきました。
「あなたは家賃の支払いがとてもいい方でした。新たな地で成功されることを祈っております。」
と、言葉を残して、電話は切れました。
こういう言葉を聞くと、ダイアモンドの件も含めて「もしかしたら全部本当だったのかもしれない」と思ってしまいます。
しかし、これが騙されやすい人の特徴だとも思いました。
こういうところから、人の心に隙ができ、そこを付け狙われることになるのでしょう。
張り紙から始まった出来事を通じて、何が本当で何が嘘なのか分からなくなりましたが、人間不信に陥るということが、どういうことなのか、分かったように思いました。
今は、家賃を払わなくて正解だと述べた同僚の話を思い出して、いや信じなくて良かったのだと、そう自分に言い聞かせています。
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