私の母が臨月を迎えようとしていた頃です。インターンを終えたばかりの医師が回診に来られました。
母の体は小さく、骨盤も小さかったので、出産時の負担を軽減する目的で、その医師は陣痛促進剤を母に投与しました。
しかし、その後、母は急に苦しみだし、院長先生が駆けつけたところ、胎盤がベリベリと剥れ、子宮とほんの数センチだけつながっている状態でした。
院長先生は、「これは危険だ!すぐに手術だ!」ということで、病院は午後から休診になり、緊急手術に。

早速、家族、親族全員が呼び出され、私の父と祖父母は院長先生から究極の選択を迫られることになります。
「母体と胎児、どちらかしか救うことができません。どちらになさいますか?」
まさに究極ですが、よく考えると、究極なのは私にとってであり、家族、親戚にとっては、とてもイージーな選択で、
「娘(母体)のほうを」
と、即座に祖父母が答えました。
まだ見ぬ子より、大切なかわいい娘です。
この時点で、私が助かる可能性はほとんど残されていませんでした。
手術に入った院長先生は、まず私を母体から取り出しました。その時、すでに私の心臓は止まっており、呼吸もしていませんでした。医学的には仮死状態と呼ばれるそうですが、家族から見れば「もう助からない」と思われても不思議ではない状態でした。

ただの肉の塊と化した私は、とりあえず少し離れた場所に寝かされ、全員、母を救うことに集中しておりました。
なんとか母の命を救うことに成功し、やれやれとなっているところで、院長先生が静かに横たわっている私のほうに目をやりました。すると私はピクっと動いたということです。
一生懸命、「このまま死にたくない!」と心で叫んでいたのでしょうか。私の魂はまだ天に昇っていなかったのでしょう。
そこでよく見てみると、のどに異物が詰まっていることが分かりました。もしかしたら、まだ助かるかもしれない。ということで、私の足首をつかんで逆さまにし、顔を水に入れたり出したりしながらお尻を叩いたそうです。
そうすると、異物をゲロゲロと吐き出し、その後、心臓マッサージ。
私の心臓が動き始めました。
まだ意識がないということで、保育器の中に入れられ、一週間後、私は意識を取り戻し、初めて「おぎゃあ」と弱弱しく泣いたそうです。
最初は一人救うだけで精一杯であったにもかかわらず、よく二人とも助けることができた、と。院長先生は、まさに奇跡だということでした。
このようにして生まれた私は、後に振り返ってみると、これが波乱万丈な人生の始まりだったのかもしれません。


